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言葉で人の心を動かす

結婚相手にふさわしい人とは、人生の歩幅が合う人だ。

やりたいこととやるべきことが一致したとき、世界の声が聞こえる

 恋人の延長線上に結婚相手がいる。しかし、魅力的な恋人が、自分にとって最良のパートナーになるとは限らない。

 

 人が人を好きになる時、共通点があったり、自分にないものを持っていたり、お互いを支え合えたりと色々な理由がある。長い人生で、その時、その場で、必要になる人、支えになる人は違う。恋人、家族、親友、同僚、名前も知らない人。だから、自分の人生を支えてくれる人を恋人だけに絞るのは、やめたほうがいい。恋人ができても友人や同僚は大切にすべきだ。

 

 人間関係は広く浅くでもなく、深く狭くでもなく、自分にあった関係性の相手を必要なだけいることが最良である。ただ、いつも支えてもらうだけの関係では、健全とはいえない。自分が相手に支えてもらえているのと同じぐらい、自分も相手を支えなくてはならない。だから、自分の手に収まる範囲、深さで人間関係を築くべきなのだ。言葉にすれば簡単だが、これが一番難しい。

 

 ヤマアラシ(ハリネズミ)のジレンマというものがある。

 原義は「ハリネズミのジレンマ」)とは「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。寒空にいるヤマアラシが互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話に由来する。その日本語訳は以下の通りである。

 ある冬の寒い日、たくさんのヤマアラシたちが暖を求めて群がったが、互いのトゲによって刺されるので、離れざるを得なくなった。しかし再び寒さが彼らを駆り立てて、同じことが起きた。結局、何度も群れては離れを繰り返し、互いに多少の距離を保つのが最適であるのを発見した。

(ウィキペディアより引用)

 

 この話では、人間関係には適切な距離感があることを教えてくれる。それと同時に、人は痛みを伴うと分かっていても、他者を求めてしまうということを気づかせてくれる。

 

 ここまで、多くの人が気づいていることだ。

 

 俺はその先について伝えたいことがある。結婚相手を選ぶ基準についてだ。

 

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 結婚相手と恋人は違う。

 

 結婚相手を選ぶ時、途中経過として恋人の期間はある。だが、魅力的な恋人だから、自分にふさわしい結婚相手だというわけではない。

 

 結婚相手としてふさわしいかどうかを見極める時、相手のステータスを見るべきではない。金持ちが貧乏になることも、貧乏人が金持ちになることもある。健康な人が病気になることもあれば、病気が悪化すればするほど多才になりモテモテになっている男もいる(笑)性格がいい人だと思ったら変な性癖があったり、怖い人だと思ったら子煩悩だったりと、人の価値は短期間では量れない。結婚している人なら分かると思うが10年以上一緒に生活してきて、初めて知ったパートナーの一面というものがあるのではないか?他人を理解するには50年あっても足りない。人が人を理解するのは簡単ではないのだ。

 

 俺は今年1年で多くの女性と交流があった。しかし、長続きしなかった。その結果、分かったことが一つある。

 

  結婚相手を選ぶ基準は、相性ではなく、人生の歩幅が合うかどうかだということだ。

 

 人は変わる。長い人生を歩む間、色んな経験をする。あらゆるものから影響を受ける。変わらない人はいない。永遠だと思った愛もいつかは冷める。大事なのは自分が変わった時、パートナーも同じタイミングで変わってくれるかどうかだ。

 

 内向的で変化を嫌うOL女性が、夢を追う貧乏男子学生と結婚した。男子学生は企業して大会社の社長になる。その時、内向的なOL女性は、社長夫人としてふるまえるのだろうか?社交的なパーティーに参加してもストレスを感じないか?夢追う男を好きになる女性はいる。しかし、いざ、夢を叶えた時、支えることができるのだろうか?彼が成長するスピードについていけるのだろうか?

 

 人にはそれぞれ成長スピードがある。人生の歩幅が大きい人と小さい人、まったく歩かない(成長しない)人もいる。この歩幅が合わなければ結婚生活は長続きしない。

 

 恋人の時は、相性が重要視される。しかし、結婚においては価値観が合うことが基本であり、それ以上に人生の歩幅が合うかどうかが重要になる。歩幅はいつも一定ではない。その常に変わる歩幅が無意識に合っている状態、つまり、一緒にいてストレスにならない関係こそが、結婚相手にふさわしいかどうかの基準ではないか?

 

 人生という道を歩くとき、恋人関係の場合、どちらかがもう一方を引っ張って歩いていることが多い。しかし、夫婦の場合、並んで歩かなければならない。どちらかが引っ張る関係ではなく、常に対等、お互いの手は繋がれているが、引っ張らずぶら下がっている状態である。もっといい関係になると、手をつなぐ必要もない。最良な関係を築けている場合、心の繋がりだけでお互い安心できるからだ。

 

  最後に、今、結婚相手で悩んでいる人に。好きな相手が全てをなくしても愛せるかどうか、それを考えてほしい。無職になり、収入がなくなる。自暴自棄になって、車道に飛び出し、事故にあって寝たきりになる。顔も原型がなくなり別人になる。後遺症で記憶喪失になった。相手は自分を覚えていない。愛していない。それでも支えたいと思えるか?

 

 かなり極端な話だが、人生に変化はつきものだ。その変化を乗り越えられなければ結婚生活は地獄である。それでも、愛せる相手がいるのなら、その相手を離してはいけない。その人は、あなたにとって運命の相手だから。

 

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